宮本武蔵は、天正12年(1584)、播磨(はりま)(現兵庫県)に生まれたと考えられています。
13歳で新当流の有馬喜兵衛(ありまきへい)に打ち勝って以来、28,9歳までの間に勝負をして一度も負けなかったといいます。その後さらに剣理を追求して兵法(へいほう)を極め、二天一流(にてんいちりゅう)を創始しました。
武蔵は、寛永17年(1640)、肥後藩主細川忠利(ほそかわただとし)の招きで熊本にやってきました。 年齢は59歳、巌流島の決闘からは30年がたっていました。客分(きゃくぶん)として七人扶持(ぶち)十八石、年末に三百石が与えられ、千葉城跡に居宅を与えられるという好待遇で迎えられます。以後、正保2年(1645)、64歳の生涯を閉じるまで5年間を熊本で過ごし、武芸だけでなく水墨画や彫刻などの芸術家としても優れた才能を発揮します。
そのような中、武蔵を理解し、温かく迎えてくれた細川忠利の死に大きな衝撃を受けたようです。その後、「五輪書(ごりんのしょ)」の筆をとり、晩年には自身の信条21ヶ条を「独行道(どっこうどう)」にまとめています。
若い頃は勝負に明け暮れ、波乱万丈(はらんばんじょう)の人生を送った武蔵。しかし、中年期や熊本で過ごした晩年の5年間は、精神的にも充実したものであったことでしょう。
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| 宮本武蔵肖像 |
| 筆者不詳 江戸時代初期 |
| 熊本県立美術館所蔵 |
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| 「五輪書」を書くきっかけとなった霊巌洞 |
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自身の信条を書きつづった
「独行道」 |
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